Silica's activity record

うつ病との闘病記録のようなブログです。PC版サイトでの閲覧を推奨します。

ニートになってしまったお話

私は仕事を辞め、現在は1人暮らしのニートをしている。

今回は最初のブログの記事として現在に至った経緯と私について書いてみようと思う。

いきなり長い記事で読みにくい稚拙な文章だと思うが興味を持ってくれた人が読んでくれると嬉しい…。

私は高校時代不登校気味だった。やる気が出ず無気力で朝は起きられなかった。登校しても毎回遅刻で出席だけ取って帰るなんてこともよくあった。不登校が続くと教室まで行けなくなり、保健室登校になっていた時期もあった。ひどい日は起きることもできずご飯も食べられずに1日中寝ていることもあった。友人は数人いたが人間関係にストレスを感じ、次第に友人を避けるようになるとひとりになった。そんな私だから学校の行事にはほぼ参加していなかったしテストの結果も散々だった。つらい追試の課題をなんとか乗り越え進級し、最後のテストの点数を先生の厚意で改ざんしてもらい卒業することはできた。

大学への進学なんて考えてもいなかったが周りの生徒の進路が決まっていくなか、担任の先生にお前でもいける大学ということでいわゆるFランクの私立大学を教えてもらった。親にも進学を強制され私はほぼ勉強していない状態でのほほんと一般入試を受け(2月頃だったと記憶している)その大学に合格してしまった。

 

進学した大学ではデザイン学部情報デザイン学科に属し、一応は興味のある分野なので最初は講義内容にわくわくしていた。しかし高校時代不登校だった私が突然変われるわけもなく、講義には出ていたが課題をこなせず単位をあまり取れない状態だった。友人はできたが高校時代の人間関係がトラウマで深く関わらないようにしている自分がいた。

5月には印刷工場でアルバイトを始め、稼いだお金を趣味につぎ込んで楽しんだ。しかしそれも最初だけだった…。

後期になる頃には無気力のダメ人間に完全に戻ってしまい大学に遅れて行き、講義は平気でサボっていた。同期の学生と比べると単位数で明らかに劣ってしまいガイダンスの先生によく呼び出しを食らっていた。大学内のカウンセリングを何度か受けるがその先生が苦手で逃げ回る日々。

バイトは行けばある程度人並みに働いていたが無断欠勤も多く、上司の信頼を無くしていった。

2年生になる頃には毎日ひどい抑うつ状態が続き人生に絶望し自殺も考えた。単位は数えるほどしか取れていないしバイトからの電話や人間関係にひどいストレスを感じ、お先真っ暗の虚無な毎日を過ごしていた。

大学の単位が取れていない件に関して当然親は黙っておらずついには「大学に行く気がないならやめて家から出て行け」と言われる。私には考える余裕も時間も無かったが親に圧倒され大学を辞める決断をする。

 

私はかなり限界を感じておりすべてを諦めて死にたいと考えつつも、ストレスの元凶である親から逃げるためにバイトのお金を貯めてひとり暮らしをする計画をたてる。

3月31日で大学を辞めてからはバイトだけをするフリーターになり、親やいろんなことに怯えながら生きていた。予定では奨学金を返済してから夏ごろ引っ越すつもりだったが限界だった私は身の危険を感じ、お金に余裕は無かったが2カ月後の5月に引っ越すことにする。

すべてひとりで調べて準備をして勇気を出して父親にひとり暮らしの話をしたが家を借りる時の保証人にはならんと言われた。出て行けといったのは向こうなのに…。しかしわたしは初めから親に頼るつもりなど無く、双子の兄(既に就職してひとり暮らしをしている)にお願いすると言った。あまり覚えていないがそれでいいということになったんだと思う。その後私は兄に会いに行きお願いをしたわけだが。家を契約するときにも色々あったが何とか手続きを済ませやっと自分の家を手に入れることができた。

私物は一切残すなと言われていたので思い出の品なんかもすべて捨てて引越しの準備を進めた。新居は実家から遠くはないが引越し業者に荷物の輸送をお願いできるほどお金に余裕は無かったので、バイト先の数少ない信頼できる人に車を出してもらえるようにお願いすると快く引き受けてくれた。本当に感謝してもしきれない。

引越しの日、バイト先のひと2人に手伝ってもらい親には挨拶もせずに逃げるように実家を去った。出て行けといったのは向こうだ。あんなひどいことをされたんだから当然だと自分に言い聞かせていたがほんの少しの良心が私を苦しめひとり暮らし初日は泣きながら眠ることになる…。そしてこれは今後も私を苦しめることになる。

 

ひとり暮らしを始めた最初は気分が落ちこむ時こそあれど割と楽しめていた。ストレスの無い自分だけの生活を手に入れたのだ。

6月にはバイト先に正規雇用してもらい出勤時間も夕方のみから昼出勤に変わった。

この頃から仕事が自分の中で大きなストレスになってゆく。

無気力と抑うつ状態で無断欠勤が増え、度重なる職場からの連絡や人間関係のストレスで次第に私は壊れていった。

完全に仕事に行けなくなりついに私は焦り始める。当たり前だが収入が減ると生きていけなくなってしまうからだ。

7月の終わりごろに私は近くの予約なしで診察してもらえる精神科に行く。そこで仕事に行けなくなってしまった現状を話した。その結果重度の抑うつ状態で仕事ができる状態ではないとのことで2ヶ月間仕事を休める診断書を書いてもらえた。休んでいる間は給料の6割ほどもらえるような制度があるとも教えてもらい、そのときは本当に安心した。しばらく仕事のことやお金のことを考えずにゆっくり休養できると。

比較的安価な抗うつ薬2種類と睡眠導入剤1種を処方してもらい、私はその後すぐに職場に連絡し社長と会うことになる。

社長に会い、精神科で書いてもらった診断書を渡したがそれをみるなり君は甘えていると言われた。私は本当に仕事ができない状況だと伝えたが社長は理解してくれず、診断書はくしゃくしゃにされてしまった。そして退職の話が出た。たぶんそこで私の限界がきたんだと思う。私は涙を流しもう無理だと心の中で諦める。社長に言われるままに私は退職の話を受け入れた。

そうするしかなかった…。それ以上もう何もできなかった…。

2日後、事務所で正式な退職手続きをし、職場の人皆に謝ってまわった。無断欠勤したこと。それで皆に迷惑をかけたこと。私はもうこの職場には来れないんだという事実に苦しみ、そして申し訳なさでいっぱいで涙が止まらなかった。職場の人は私に優しい言葉をかけてくれたがいっぱいいっぱいであまり覚えていない。

 

こうして私はニートになってしまった。

 

(ここで不当解雇ではないか?と思う読者さんがいるかもしれないが、私はうまく言いくるめられてしまい、私の意志で退職を決めたような形にされてしまったので不当解雇とは言えないのかなと思っている…。私はクビにされたと思っているが。しかし書いていてこれは不当解雇といってもいいような気もしているので必要であれば労働局に相談してみようと思う…。)

 

退職後、私は家に引きこもる日々が続いた。食べ物の買出しと精神科に行く日以外は一切家から出ない。昼夜は逆転し不規則な生活。少ない貯金をやりくりしつつ確実に近づく人生の詰みと死に私は怯えていた。

精神科で処方された薬を飲むと不安が消えてあたまがスッキリした感じで、割と調子は良かった。ストレスだった仕事や人間関係はすべて消えたのだ。しかし薬を飲んでいてもひどく落ち込んだり不安に苦しむこともあった。

できるだけ現実を忘れて大好きなぬいぐるみを抱いて癒しを求めた。

基本的に無気力なのでできることは少なかったが少しずつネットで生きるための情報収集を始める。うつ病の人や似たような状態の人のブログを読んでいくうちに経済支援の制度について知った。じつは精神科でも生活保護やその他の制度に頼ったほうがいいとは言われていた。私の場合、友人は居らず親にも頼れないのでそのような大きな話になってしまうのだ。

私でも使える経済支援の制度はないかと調べたが、残念ながら傷病手当や失業手当は私の場合雇用保険の加入期間が短すぎて無理だった。

そして最終手段の生活保護に頼るしかないと思った。

私は区役所へ行き生活保護の相談をする。それがつい2日前のことだ。

 

そして現在に至る。

 

生活保護は来週に必要書類を揃えて正式申請をする予定に今のところなっている。

お金はもうほぼないし、ちょうど薬も切れたが精神科に行くのも躊躇うほど余裕が無い…。

現在の私の症状としては(思いつくだけ書いてみる)無気力、体がだるい、思考停止、過眠、自殺願望、自己嫌悪、不安、マイナス思考、食欲・性欲の低下…と言ったところだろうか…。

正直、精神科では抑うつ状態とのことで治療(?)が進められているが(薬が処方されているだけ)正式にうつ病と診断されたわけではない。うつ病の診断には長期の経過をみないといけないそうだ。

私は自分がうつ病かもしれないと思っているが、そうではなく甘えているだけなのかもしてないと思うこともある。しかしうつ病か何らかの精神障害ではないと説明がつかないというか明らかに異常だと思う時もある。

自分がうつ病かもしれないと思い始めたのは大学生になってからで高校生のときはダメ人間な自分が当たり前だったし疑問にも思わなかった。高校生のとき母親に連れられて病院(心療内科?)に2、3回行ったことがあるが遅い反抗期ではないかといわれた記憶がある。その後は私が行きたがらないので病院へ行くことは無かった。他に睡眠外来に行ったこともあるが簡単な問診だけで君は夜に起きてネットで遊んでいるのでは?と言われた。

 

とりあえず現状としては生活保護を受けながら休養して仕事がまたできるようになればいいなと思っている。

 

長くなってしまったが、ニートになってしまった私について思いつくことはだいたいかけたと思う。夜ずっと起きてて突然ブログ書こうかなと思い立って(ブログを作ったのは数週間前)それから4時間ほどかけて書いた。疲れたし少し眠たい。音楽を聴きながら書いたがよく集中力がもったなと今思う。

と言うことで最初の記事はこの辺で終わろうと思う。

次の記事はいつになるか分からないがブログはちゃんと続けたい…。

最後まで読んでくれた人がもしいたらありがとうございますとひとこと。

 


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